一人暮らしをしていた頃の話をするね、コロナ禍前は都心部でなんとか自分で生計を立てて自立して念願の一人暮らしを30代で叶えた。周囲から見たら遅い自立かもしれないけど、そんなことはどうでもよかった。
うん、ほんと関係ねぇ(´・ω・)勝手にほざかせてあげよう(笑)(口悪いねwww)
遅かろうとも早かろうとも、何歳で在ろうと「実現できたこと」が私には必要で重要でもあったし自己確立に欠かせない経験だった。今思えば、引っ越さねばならない理由ができたからだ。どんなに金銭的に貧困になろうと「ここから離れなければ私の人生はまもなく終わる」と確信したからだった。
そういう渦中の時、物事の最優先度がはっきり明確化するから計画性のない自分にも1ステップ、2ステップ、3のステップでこれをやる!といったことが一気に解決さえしたりするケースがある。死活問題だった。
だれも信用できない状況こそ、自分を試す絶好で最良の機会なのかもしれないが(ポジ思考で考察すると)、こんなこと何度も起きてほしくはない(笑)なんと言ってもただでさえ脈拍が速い私には体にも悪い・・・。
それでもあのタイミングで意を決してすぐさま不動産屋に行き、1週間ほどで物件を回り適当な1Kの部屋を決めて引っ越したことは最良だったと思う。家賃・光熱費・固定費などなど一人暮らししてみないと経験してみないと分からない経験を背ざる負えないからだ。そうじ・家事・料理どれも困らなかったのは少し自分に自信がついた。これって成功体験と呼んでいいのか?
これって他者に理解を求めるの、違う気がしてきてます。良いも悪いもすべてを自分で決めていく。極論でいうと例え100人中99人が否定しても、ね。( ¯•ω•¯ )このあたりのことを自分で受け止める、受け止めてやっと自分が自分を形成していくのかもしれず。誰かのためにやったことなのか?ね、だれでもない“自分のため”でしょう。(´・ω・)そこのところ自分、自分によろしく!(笑)
自分が信じられない、とか信じられるとか。もうそういうモノサシでもなく例え信じれなくったって他者やろくでもない男に決められるより自分で選択する方が人生の70%以上の価値があると感じた。もう数千倍 重要なことだった。
そこに自分の意志が介在していないと、何も主体的に行動できない。行動できないどころか落ちてさえ行く場合だってある。そこを10分だって早く気付けたら、この半年、1年、3年後はまったく別の景色がみえる。
自分の両親?恋人?友人?知り合い?他人・・・に、そんな振り回されてる場合 ないよ( ¯•ω•¯ )
場合じゃ、、、ない。(ガチ)そんなのカモってくれと言ってるのと変わらないことでもある。
その人が憎いわけじゃない、嫌いなわけじゃない、よね。
でも、流されてもいい場面と、そうなってはならない場面があること知った。だから見切り発車だっていいから行動していって、行動していく先に未来を見据えて、自分で舵を切ってみることにしたのです。
少し暗い場面をみせても、それを叩くような人は友達と思わなくたっていいし、なんなら関わらなくたっていい。
じゃあ、君の時はどうだったの??って思う。その時に手を差し伸べることができないなら、いっそのこと私を罵ってほしいんだ。冷たくしてくれた方がまだいい。中途半端に、優しくなんてしてほしくないんだ。
だってその手はまともに冷たいし顔、表情こそ優しいかもしれないが、1ミリも優しさを感じなかった。もうこれがすべてだろう。だったら罵詈雑言された方がいくらか救われるわ。
非言語の中に含まれていた言葉達を自分なりに解いて咀嚼していくと、最終的に自問自答のコーナーが始まる。
ほんとにね、心無いやさしさと言葉は意味を成さない。なんのカッコつけなのか自己満なのか知らんけど。相手にとっての正義なのだろう。もっと言うと生き方、主義のこと。けれどもそれは私の主観だから正しいとか正しくないだとかっていう論点はなく、人それぞれの受け取り方、解釈なのだ。
信じるも大吉、信じないも大吉なのだとしたら、それこそ私、君次第の人生である。
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